「ミネルバのひよこ」のおはなし


 ミネルバ・オベリスク
ローマ,パンテオンのうしろ,サンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会(Chiesa di Santa Maria Sopra Minerva)の前に,オベリスクを背中に乗せた象(の彫像)【写真右】がある。
その象は「プルチノ・デッラ・ミネルバ(Il Pulcino Della Minerva)」という愛称で呼ばれている。日本語では「ミネルバのひよこ」という意味。象なのに「ひよこ」(ひな)というのは,以下のような由来がある。

なお,彫像については以下サイトで説明している。
http://okamoto-shoji.jp/minerva_j.htm
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チギ家の家紋

チギ家の家紋

 
まずこの教会はドミニコ修道会の教会である。教会の名前サンタ・マリア・ソプラ・ミネルバの「ソプラ」は「〜の上」という意味で,ローマ帝政時代,この地に,知識を司るローマの女神ミネルバに捧げられた神殿が建っていて,その跡地に建てられらので,この名がつけられた。(正確に言うと,現在の教会の場所にあったのはイセウム神殿で,ミネルバ神殿があった場所は,その僅か東側。)

その教会の後ろ東側の地中から1665年に,この小さなオベリスク(長さ約5.5メートル)が見つかった。ときのローマ法王アレッサンドロ7世(Alessandro VII)はその教会前(教会の西側)の広場に立てるように言った。

その案を聞いたドミニコ修道会の神父で建築家でもあったドメニコ・パグリア(Domenico Paglia)はオベリスクの土台について提案した。それは,オベリスクを小さな六つの丘の上に置くというものだった。その丘は,法王アレッサンドロ7世が属していたチギ家の家紋にあしらわれていたものだった。また四隅にはイヌを配置することにした。イヌはドミニコ僧のシンボルとされるが,それはラテン語の Dominicanes(ドミニコ修道士)は Domini canes と同じ発音で,Domini canes は「主イエス・キリストのイヌ」という意味になり,それがあだ名となってその忠実さを表していたからである。


しかしながら,法王アレッサンドロ7世はミネルバ神殿にちなんで知識のシンボルの彫像がいいだろうと思っていたので,その案を採用しなかった。そしてその彫像を,ナポリ出身の建築・彫刻家でローマで働いていた芸術家ジョバンニ・ロレンツォ・ベルニーニ(Giovanni Lorenzo Bernini)に委嘱した。ベルニーニは数多くのデザインを提出したが,その中から,強さを表すシンボルである象がオベリスクを捧げる案が選ばれ,土台には「"...a strong mind is needed to support a solid knowledge」(確固たる精神には健全な知識が必要だ)などの文字が刻まれることになった。

 アルダス・マニュティウス

アルダス・
マニュティウス
(1449-1515)

ベルニーニはフランチェスコ・コロンナ(Francesco Colonna)の小説 Hypnerotomachia Poliphili ("Poliphil's Dream of the Love Battle")(ヒュプネロトマキア・ポリフィリ,ポリフィールの愛の戦いの夢)に触発されたようだ。 この小説は,アルダス・マニュティウス(Aldus Manutius)という出版者によって15世紀末(1499年)にヴェネチアで出版されたもので,イタリアで出版された初期の本の1冊だが,17世紀半ばの当時でも広く読まれていた。
【余談その1】 アドビ社(Adobe)のDTPソフト「アルダス・ページメーカー Aldus Pagemaker」の「アルダス」という名前は,この出版者の名前に由来している。 【注】しかし,バージョン6.0 からは名称が変更され,現在は Adobe PageMaker となっている。
【余談その2】アルダス・マニュティウスはまた,イタリック体(いわゆる斜体字)を世に広めたことでも知られている。彼はデザイナーのフランチェスコ・グリフォー(Francesco Griffo )に委嘱してこの優美な書体を作ったのである。
【余談その3】アルダス・マニュティウスはまた,現在のペーパーバックの創始者とも言われている。彼はベラム(上質皮紙)の表紙でくるんだ廉価本を発明し,本の普及に貢献した。

象の挿絵

コロンナの小説本・初版に載った象の挿絵

 
小説の中で,象徴的できごととして,主人公ポリフィールはオベリスクをかついだ石造りの象に出会う。本にはその挿絵が載っている【左図】。この挿絵とベルニーニの作ったモニュメントとを見比べると,彼がこの挿絵にヒントを得たことは容易に理解できる。

ベルニーニは,オベリスクを象の背中に載せる考えを示した。しかしドメニコ・パグリアは,彼の案が採用されなかったことで多少嫉妬していたのか,「伝統的規範によると,安定して長期間に,空間の上にそんな重いものを垂直に立てることはできない」と異議をとなえ,「 Hypnerotomachia Poliphili の挿絵のように,象のお腹の下に,重さを支えるものを置かないとおかしい」と主張した。しかしベルニーニは,ナヴォーナ広場の「四つの河の噴水」ですでに重い物体を空中に浮かせることに成功していた(1651年)ので自分のプランは実現可能と主張した。しかしどうした訳か法王は,象のお腹の下に「立方体」を置くように命じた。そこでベルニーニはその見苦しい立方体を隠すために,象の背中の布を垂らせて取り繕った。その結果,彫像は重たい印象を与えることになってしまった。

重たい印象になったことで,この彫像は Porcino della Minerva (ミネルバのこぶた − 仔豚)というニックネームで呼ばれるようになった。

ここからは少しややこしい話になるが,ローマには「purcino」(ひよこ,イタリア標準語で pulcino)という方言があって,しかも「purcino」のほうが「porcino」(こぶた)よりポピュラーだった関係上,ふたつは混同され「porcino」(こぶた)はいつのまにか「purcino」(ひよこ,ローマの方言)と言われるようになった。それをイタリア標準語で言うと「pulcino della Minerva」となるのである。これが,象がひよこになった経緯である。

自分のアイデアが実現できなかったベルニーニはリベンジを図ったようだ。彼は,ドメニコ・パグリアが属していたミネルバ教会に背を向けるように象を置いた。しっぽを少し左にずらして,お尻で神父パグリアとドミニコ修道院に敬意()を表したのである。彫像は最終段階で,彼の弟子のひとりエルコール・フェラッタ(Ercole Ferrata)に任され,1667年に完成した。

【おまけ】 「pulcino」(イタリア標準語で「ひよこ」)は「小さな蚤」ではないかとの説があるので紹介しよう。つまり,[pulcino] は [pulce](蚤)の指小語だというのである。「小さな蚤」だと随分皮肉だが,残念ながらこの解釈は間違っている。 [pulce](蚤)は女性名詞なので,指小語は [pulcino] にならない。文法上では「pulcina」となる。しかし実際はそういう言葉はなく,ふつう蚤の指小語「小さな蚤」は「pulcetta」と言う。 一方,[pulcino](男性名詞)は卵から生まれた小さな鶏,つまりひな(ひよこ)(にわとりの子)のことである。 ちなみに「pulcino」の指小語(小さなひよこ)は文法上 [pulcinetto] となる。

このはなしの多くの部分はローマ在住の Andrea Pollett 氏のサイト(英語)Roma SPQR というローマ案内のサイト(イタリア語) がベースになっている。その他筆者が適宜補った。


著作・編集: 岡本正二
E-mail: shoji_okamoto31@yahoo.co.jp

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